セイロンシナモンを知った日、スーパーの298円が私の3年間を破壊した話

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セイロンシナモンを知った日、スーパーの298円が私の3年間を破壊した話

※登場人物は全て仮名です。

私には、隠したい過去がある。

別に大したことじゃない。浮気でも借金でもない。ただ、3年間ずっと間違えていた、というだけの話だ。

しかも自信満々に。しかも人に語りながら。

健康オタクへの目覚め

話は3年前にさかのぼる。

当時28歳の私、田中ミカは、人生で初めて「健康」に目覚めていた。きっかけはしょうもない。会社の健康診断で「血糖値が少し高め」と言われただけだ。再検査にもなっていない。ただのコメントだ。

でも当時の私には、宣告に聞こえた。

その日の夜、スマホで「血糖値 下げる 食べ物」と検索した。シナモンが出てきた。「血糖値の上昇を緩やかにする」「抗酸化作用がある」「毎日続けることで効果が出る」。

よし、やろう。

翌日、駅前のスーパーに走った。シナモンコーナーに行くと、赤いラベルのパウダーが298円で売っていた。迷わず買った。「シナモン」と書いてあった。シナモンだ。買った。以上。

それから私の朝は変わった。オートミールに、ヨーグルトに、豆乳に、シナモンをかけた。毎朝スプーン1杯。欠かさず続けた。

そして問題の行動が始まった。人に語り始めたのだ。

布教活動、始まる

職場の同期、佐藤えりに言った。

「ねえ、シナモンって知ってる? 血糖値にめちゃくちゃいいんだって。私毎日とってるよ」

えりは「へえ、すごいね」と言った。

翌週、後輩の山田くんに言った。「健康意識高い人ってシナモンとるらしいよ」。山田くんは「そうなんすか」と言った。興味なさそうだった。でも言った。

少し話がそれるが、健康に目覚めた人間というのは、なぜあんなにも他人に語りたがるのだろう。別に誰も聞いてない。聞いてないのに語る。栄養素の名前を覚えるたびに、誰かに言いたくなる。あれは一種の病気だと思う。私もかかっていた。

話を戻す。

そんな感じで、私は半径3メートルの人間全員に「シナモン、いいよ」と言い続けた。LINEで送ったこともある。「最近シナモン始めたんだけど、体調いい気がする」。既読がついた。返信は来なかった。

それでも私は続けた。3年間。

転落の朝

その日も私はいつも通りオートミールにシナモンをかけていた。スマホでインスタを見ながら。

フォローしている栄養士のアカウントが投稿していた。

「シナモンを健康目的で毎日使う方へ。スーパーで売っている一般的なシナモンの多くは"カシア"という種類です。カシアには"クマリン"という成分が含まれており、大量摂取で肝臓に負荷をかける可能性があります。健康目的ならセイロンシナモンを選んでください」

手が止まった。

オートミールがさめていくのを感じながら、その文章を3回読んだ。

カシア。

クマリン。

肝臓。

ゆっくりと、スプーンを置いた。引き出しを開けた。シナモンパウダーの赤いラベルを裏返した。

「シナモン(カシア)」

5文字が、目に刺さった。

 

崩れていく3年間

私がやったのは、まず成分表示を写真に撮ることだった。証拠保全。

次に、「カシア シナモン 違い」で検索した。

出てきた情報はこうだ。シナモンには大きく2種類ある。スリランカ原産の「セイロンシナモン」と、中国・ベトナム原産の「カシア」。日本で流通しているシナモンのほとんどはカシアで、安価で香りも強い。セイロンは繊細で甘く、価格はカシアの3倍以上することもある。

見分け方もあった。スティックの形を見ると一目でわかる。セイロンは薄い皮が何層にも重なっていて、葉巻みたいにふわっとしている。カシアは硬くて、断面がほぼ一枚板だ。

ここで少し脱線する。

私は大学で「情報リテラシー」という授業を受けた記憶がある。「情報は一次ソースを確認しよう」とか「ラベルをきちんと読もう」とか習った気がする。その授業で私はたぶんAをとった。なのになぜ、298円のシナモンのラベルを3年間一度も裏返さなかったのか。人間の矛盾とはかくも深い。

ちなみにラベルに原材料の書かれてないものもあった。見てなかった。

話を戻す。

検索を続けていると、あることに気づいた。セイロンシナモンがSNSで急に話題になっているのは、「カシアとの違いを知った人が一気に増えたから」らしい。

つまり、私と同じ体験をした人が大量にいた。

「ずっと使ってたのカシアだった」「本物探してる」「スーパーのやつと全然違う」。そんなコメントがタイムラインに溢れていた。

これはもしかして、私だけじゃなかったのか。

少し救われた気がした。でもその後、もっとひどいことに気づいた。

LINEを読み返した

佐藤えりとのトーク画面を開いた。

「シナモンって知ってる? 血糖値にいいんだって」

「え、ほんとに? どこで買えるの」

「スーパーで売ってるよ、安いやつで全然OK」

最後の一文が光って見えた。

「安いやつで全然OK」

私は、カシアを勧めていた。それも積極的に。熱量を込めて。

他のトーク画面も開いた。山田くんに送ったやつ、母親に送ったやつ、全部同じことを言っていた。「シナモンいいよ」「毎日やってるよ」「試してみて」。

謝罪LINEを送るべきか15分悩んだ。

本物を手に入れた日

その週末、ネットでセイロンシナモンのスティックを注文した。

届いた袋を開けた瞬間、香りが違った。

甘くて、やわらかくて、どこか花みたいな匂いがした。298円のパウダーとは、まるで別の植物だった。スティックを手で崩してみると、薄い皮がいくつも重なってほろほろとほどけた。触った感じも、壊れ方も、全部違う。

あ、これが本物か。

感動した。同時に3年分の「なんか違うかも」が、一気に腑に落ちた。

毎朝続けていたのに、なんとなく劇的な変化を感じなかった理由。健康目的でとっているわりに、自信を持てなかった理由。使えば使うほど、どこかもやもやしていた理由。

知識が一歩足りなかっただけだった。

そして謝罪へ

結局、送った。

「ちょっと聞いてほしいんだけど、以前私がシナモンすすめたじゃん。あれ、カシアっていう種類で、健康目的なら本当はセイロンシナモンがいいらしい。ごめん、間違えてた」

えりから返信が来た。

「え、そうなんだ笑。ていうか、あのあと私も買ってたよ、スーパーで」

「買ってたの!?」

「うん笑。田中がそんな言うからさ」

5秒フリーズした。

私は被害を拡大させていた。

でも不思議と、えりのトーン読む限り怒ってはいなかった。「一緒にセイロンシナモン試してみようよ」で話が終わった。

人間関係って、意外と丈夫にできている。

今朝も、私はオートミールを作った。セイロンシナモンのスティックをミルで挽いて、少量だけかけた。香りは相変わらず、やわらかく甘い。

引き出しの中に、赤いラベルはもうない。

ちなみに山田くんには、まだ謝っていない。

あいつはどうせ、シナモンを買っていないと思うから。

 

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